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英国新政権の市民社会政策−「大きな社会の構築」について−

産業能率大学経営学部 准教授 中島 智人


 英国では、2010年5月に行われた総選挙の結果、1997年以来13年振りとなる政権交代が実現しました。労働党に代わり、今後5年間英国の政治を担うのは、保守党と自由民主党とによる連立政権です。
 この連立政権により、その市民社会政策の基本的な方向性を示した政策文書「大きな社会(ビッグ・ソサエティ)の構築(Building the Big Society)」が発表されました。連立政権は、政権が発足して間もない5月18日に市民社会セクター側のリーダーを交えた円卓会議を実施し、その場でこの文書が示されました。今回はこの政策文書をもとに、英国新政権の市民社会政策を紹介し、政権交代による市民社会政策の変化や今後の英国民間非営利公益セクターに対する含意などについて、考えていきたいと思います。

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「大きな社会の構築(Building the Big Society)」1ページ目

 

1 「大きな政府」ではなく「大きな社会」
 この文書を読むと、まず、表題にもある「大きな社会(ビッグ・ソサエティ)」という文字が目を引きます。かつて保守党を率いたマーガレット・サッチャーは、「社会というものは存在しない(There is no such thing as society.)」と発言しました。この発言の前後の文脈やその後の発言などをみれば、彼女が「社会など必要ない」考えていた訳ではないことは明らかですが、労働党などからは社会を軽視する保守党の姿勢として批判の的となりました。今回、新政権が、「大きな社会」という言葉を選んだことには、どのような意味があるのでしょうか。今回の総選挙に先だって保守党は、この政策文書の元となった文書を発表しました。その表紙には「BIG SOCIETY NOT BIG GOVERNMENT(大きな政府ではなく大きな社会)」と大きく書かれています。これは、労働党政権「古い労働党」と決別し「新しい労働党」を標榜しながら地方分権や市民社会とのパートナーシップを進めたのにも関わらず、結局は中央政府や官僚が大きな権限を持ち続けていたとの批判が、その背景にあります。新政権は、「大きな社会」の構築を通して大きな政府、官僚機構の権限を縮小させ、公共セクターの改革を進めようとしているのです。

 

 ここで、保守党の文書に書かれた「大きな社会」の基本的な考え方について触れておきましょう。保守党−自由民主党連立政権による政策文書は、基本的に保守党の考え方がベースとなっていると考えられています。

 

「大きな社会」とは:
・より高いレベルの個人、専門家、市民および企業の責任が伴う社会である。
・課題を解決し、自分自身の生活やコミュニティの改善を行うために、人々が協力し合う社会である。
・進歩を導く力は、社会的責任であり国家による統制ではない社会である。

 

 このように、「大きな国家(政府)」を否定し、個人やコミュニティに対してより大きな役割を期待しています。同時に、個人やコミュニティが役割に見合った責任を果たすことも求めています。

 

2 「大きな社会の構築」の主要課題
 次に、「大きな社会の構築」の内容について見ていきたいと思います。この政策文書の主要課題としては、次の項目が掲げられています。

 

(1) コミュニティに対するより多くの権限付与
(2) コミュニティでの活動的な役割の奨励
(3) 中央政府から地方自治体への権限移譲
(4) 協同組合、共済組合、チャリティおよび社会的企業の支援
(5) 政府データの公表

 

それぞれの項目の詳細な内容については、末尾に「大きな社会の構築」の全訳を掲載しましたので、そちらをご確認ください。ここでは、市民社会の行方に影響を与えるような特徴的ないくつかの項目について触れたいと思います。
 まず、目につくのが地域住民に対して、より大きな権利を与えようとするものです。その中には、地方自治体における地域計画の策定に、地域住民がより積極的にかかわれるようにするもの、あるいは、地域の公共施設やサービスの管理運営を地域住民が肩代わりするための新しい権利が含まれます。労働党政権時代にも、地方自治体における地域戦略計画の策定には、地域住民や民間非営利公益団体を含む多様な利害関係者からなる地域戦略パートナーシップ(LSP)の活用や、地域住民の参加の保証などの政策が取られてきました。また、地方自治体改革の一環として、自治体が所有する資産について、その所有権を民間非営利公益団体や地域の住民グループに移転したりやその管理を任せたりする取り組みも行われていました。しかし、中央政府の中央集権的な姿勢により、これらの政策が十分に機能していないとの考えが、今回の保守党−自由民主党連立政権の政策に現れており、労働党政権で機能しなかった政策を具体的に進めていこうというものと考えられます。
 次に指摘したいのは、民間非営利公益団体に対する期待です。「大きな社会の構築」では、協同組合、共済組合、チャリティそして社会的企業に対して、より積極的な公共サービス供給への関与が期待されています。公共サービス分野は、政府の財政再建政策によりコストの削減に直面している一方で、サービスのレベルについては改善が求められています。より受益者に近い立場、かつ低廉なコストでサービスを提供できるとされる民間非営利公益団体は、政府の公共サービス改革を実現するためには、重要なパートナーとなるのです。
 公共部門の従事者により社会的企業の設立は、労働党政権の特に医療・保健サービス分野で奨励されていました。保守党−自由民主党連立政権では、その範囲を拡大し、またより実行力のあるものとする政策を進めようとしているものと考えられます。
 最後に、民間非営利公益団体の支援について触れたいと思います。「大きな社会の構築」では、ボランティア活動の推進や寄附・フィランソロピーの充実が課題としてあげられています。

 

3 「大きな社会の構築」に対する市民社会・民間非営利公益セクターの反応
 この「大きな社会の構築」が発表されると、民間非営利公益セクターの主要団体は、一斉にコメントを発表しました。中央政府から地方自治体への権限移譲やそれに伴う地域住民の意思決定への参画、あるいは民間非営利公益セクターに対する期待やその支援の表明など、基本的にはこの政策文書を歓迎するものが多くを占めます。ただし、この政策文書のでは、基本的な政策の方向性が示されているだけです。政策がどのようにして実現されていくのかは、これからの課題となります。したがって、地方分権や地域住民に対する権利の付与が、具体的に実行されるよう注視していく姿勢が見られます。
 公共サービスの供給における民間非営利公益団体の役割については、より積極的な関与を求める意見もあります。例えば、NCVOは、公共サービスの供給に対する政府の期待を基本的に歓迎しながらも、民間非営利公益セクターの役割は単なる「供給」だけではなく、ニーズの発見、解決策のデザインやサービス利用者への情報の提供、利用者が情報にもとづいた選択ができるようその助言や支援など、広範囲にわたることを指摘し、民間非営利公益セクターへの期待が限定されることをけん制しています。今回の政策文書のもととなった保守党の文書では、民間非営利公益セクターが公共サービスの供給に新規に参入することにより、出来高払い、競争入札、業績の公表、競争環境の中で利用者が選択できる機会の提供を通して、アカウンタビリティと金額に見合った価値(バリュー・フォー・マネー)が改善されることが期待されています。この点については、政策の実行段階でどの程度反映されるか注視する必要があると思います。

 

 2010年6月になって、連立政権は「内閣府構造改革計画」を発表しました。「大きな社会の構築」に掲げられた市民社会に対する基本的な方向性が、具体的な政策としてどのように展開されるかが示されています。今後、市民社会側の反応とともに、この政策の進展を注視していきたいと思います。

 

●「大きな社会の構築」(全訳)
われわれ保守党−自由民主党連立政権は、強い意志をもって協力することとなった。より多くの権力と機会とを人々の手にするために。

 

市民、コミュニティそして地方自治体対して、協力して行動し、直面する課題を解決し、そして自分たちが望むような英国を構築するために必要な権限と情報とを手渡したい。
社会、すなわち家族、ネットワーク、近隣地域あるいはコミュニティのように日常生活の多くを形づくっているものが、かつてないほど大きくそして強固であることを望んでいる。人々とコミュニティとが、より多くの権限を与えられ、そしてより多くの責任を果たして初めて、すべての公正と機会均等とを達成することができるのである。

 

大きな社会の構築は、単に、ひとつやふたつの省庁の責任ではない。それは、政府のすべての省庁の責任であり、そして市民一人一人の責任でもある。政府は、自分たちだけではすべての問題を解決することは不可能である。全員参加が必要である。英国が直面する社会的、政治的、経済的課題に対処するためには、この国全体で人々のスキルや専門性を引き出すことが求められているのである。

この文書は、既に合意された政策の骨子を示すものであり、この政策によりその課題実現の一助となると信じている。今後発表される政府に対する包括的プログラムの最初であり、それにより英国に必要な改革、再生、公正、および変革がもたらされるであろう。

 

1. コミュニティに対するより多くの権限付与
・計画システムの思い切った改革を行い、地域住民が自分たちの生活の場の形成に対してより多くの決定権限を与える。
・コミュニティに対して、閉鎖の危機に直面している地域の施設やサービスを救済するための新しい権限を導入する。また、コミュニティに対して、地域の公営サービスを引き継ぐために入札する権利を付与する。
・英国全土、とりわけ最荒廃地域において、新世代のコミュニティ・オーガナイザー(まとめ役)を養成し、また近隣グループの形成を支援する。

 

2. コミュニティでの活動的な役割の奨励
・ボランティア活動や社会活動への参加を奨励するためのさまざまな取り組みを導入する。例えば、全国「ビッグ・ソサエティ・デー」の立ち上げ、あるいは定期的なコミュニティへの参画を公務員評価の主要評価要素にすることなどである。
・寄附やフィランソロピーを奨励するさまざまな取り組みを導入する。
・国家市民サービス局を導入する。さしあたっての最重要プロジェクトは、16歳向けに、活動的で責任ある市民として求められるスキルを開発し、異なるバックグランドを持つ人々と交流し、そしてコミュニティの活動に参加し始めるような機会を提供するプログラムである。

 

3.中央政府から地方自治体への権限移譲
・地方自治体に対して、大胆な権限移譲、および自治体財政の全面見直しを含むより大きな財政的自律を推進する。
・地方自治体に対して、全面的な権限を付与する。
・地域空間戦略を廃止し、住宅と(地域)計画の意思決定権限を地方自治体に返還する。

 

4.協同組合、共済組合、チャリティおよび社会的企業の支援
・協同組合、共済組合、チャリティおよび社会的企業の設立と発展を支援し、また、これらの団体が公共サービスの運営により深く参画できるよう支援する。
・公共部門の従事者に対して、労働者所有協同組合を設立し、提供しているサービスを引き継ぐために入札する新しい権利を付与する。これは、何百万もの公共部門の従事者が、自分自身のボスとなり、よりよいサービスを提供することを可能にする。
・休眠中の銀行口座の資金を活用して、ビッグ・ソサエティ・バンクを設立する。これは、近隣グループ、チャリティ、社会的企業、その他の非政府団体に対して新しい資金を提供するものである。

 

5.政府データの公表
・新しい「データへの権利」を創設する。その結果、一般の人々が政府保有のデータを請求して活用することが可能となり、また定期的に公表されるようになる。
・警察が、地域犯罪にかかわる統計データを毎月公表することを義務付ける。その結果、一般の人々が近隣地域にかかわる正確な犯罪情報を入手し、警察がその活動に責任を持つようにする。

 

●原文
「大きな社会」(保守党): http://www.conservatives.com/News/News_stories/2010/03/~/media/Files/Downloadable%20Files/Building-a-Big-Society.ashx

「大きな社会の構築」(保守党−自由民主党連立政権): http://www.cabinetoffice.gov.uk/media/407789/building-big-society.pdf

 

内閣府構造改革計画: http://www.cabinetoffice.gov.uk/media/414879/srp-cabinet-office.pdf


 


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